博士号ってすごい?博士のメリット

博士号取得のメリットや価値については、多くの情報源があると思いますが、評価者(このサイトの場合、私)の経験や立場が大きく影響することに注意する必要があります。研究分野や経歴、年代によって言うことがかなり異なってくるので、誰かの主張を読む際はこのあたりを注意してほしいです。

なんで私の属性をはじめに述べておきます:

・理学部卒の生物系(研究は医学寄りだった)。
・博士号取得後、助教まではなった。その後退職。
・ポスドク問題のピーク後の世代(所謂ゆとり)。


一般的に生物系は研究者の数が多すぎるので、後輩に博士号取得を勧める人は少ないですし、私もその例外ではありません(工学系だと真逆だと思います)。ただ私の場合は、30歳前後まで粘って大学教員(助教)になったので、研究のモチベーションとしては高かった方だと思います。だから、ちょっとは博士課程進学を勧めたい気持ちはあります。世代の観点から言えば、私はポスドク問題がやや緩和された時期に学位取得したので、ひとつ上の世代ほどは激しい競争にさらされなかったと思います。なので私の考えは多分、ポスドク問題で一番困った世代(今40歳前後?)よりは優しい傾向があると思います。

この記事では主に「アカデミックな研究職に拘らない」人にとっての博士号の価値を考えてみます。内容はバイオ系や生物系の博士に限定なのでご注意ください。博士進学を検討する学生や、一般の人を対象にした文章だと思います。


生物系博士号は、もう研究能力の証明にはならない

残念ながら、少なくともバイオ系・生命科学系・医学系の博士号にはもう研究能力の証明という本来の意味はないと思います。教授が大学院生にテーマを与え、手を動かして実験していれば、博士号を取得してしまう例があまりに多いからです。学生が自身で論文を書いて投稿している例も少なくなっていると思います。生物系の研究(特に大御所の研究室)では、少数のプロジェクトに労働力や研究予算を集中投下し、大きめの論文を一つ書いて学生に学位取得させるパターンが多いです。前者(大きな労働力・予算が必要)の理由で大学院生は自分だけの力で研究プロジェクトをまとめるのが困難になりますし、後者の理由で十分に論文執筆の訓練ができていないと私は思います。(注:これらの問題の一因は、教員が学生教育よりも自分の研究業績を増やすことに疲弊しているからです。詳しくは別記事)

学生が自分で考えながら研究を進めていれば、たとえそれが大御所研究室の流れ作業の一環であっても、自分の研究者としての成長には繋がるはずです。それは確かにそうなのですが、しかしながら単純に教授の指示で実験作業をすることによって博士号を取得してしまう人があまりに多いです。論文丸ごと教授のアイデアという人が結構いて、自分のアイデア0%でも博士になれてしまいます(特に医学系です)。

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なので、現実的には博士号という肩書で示唆できるのは「研究能力」などではなく、「教授と上手くやれる」「実験はできる」「研究のノウハウはわかる」という程度だと思います。少し別の観点から博士の能力を推測するなら、研究室で数年かけて学位取得まで至ったのだから「最低限の計画力や忍耐力」は持ち合わせていること、「学費数年分を払える経済的余裕が本人または実家にある」ということも推測できるかもしれません(しかし、単に博士たちが何にも考えず、教育ローンを借りているだけかもしれません)。

他に研究に関連する客観的能力としては、毎日英語論文を読んでいるはずだから「英語の読み書き能力」、研究発表の機会は多いはずだから「プレゼン力」等の面で博士が優れている場合は多いと思います。しかしこれらの能力はなくても博士号は取得できます。

なので私の考えでは、博士号自体は別にすごくないです。優秀な人はとても優秀ですが、かなり人に依るので、肩書だけでは何とも言えないです。(注:大学教員になりたい場合は博士の肩書が必須なので、取得を目指すしかありません。)


能力の証明にならないが経験としては意義がある。でも費用対効果がない

ここから下は、私の思う博士課程のポジティブな面を書いてみます。博士号の取得過程で得られるものとしては、上述したやや表面的な能力(コミュ力・英語力・プレゼン力)より、もう少し内面深いところへの好影響はありうると思います。以下に走り書きします。

(1) 博士号を取得できたということは、何かの分野で最先端を経験したということには違いないですし、それなりの成功体験を持っていることになります。仮に教授の指示だったとしても、(教授の指示に従って)試行錯誤した経験を持っているはずです。仮説を検証しながら挑戦し続ける姿勢は研究に限らず、日常や人生のあらゆる選択で重要な姿勢だと思います。失敗続きでも、工夫してやり続けていればそのうち成功するだろうことは、私が研究から学んだことの中で一番大きかったことだと今では思っています。

(2) また、常にデータで相手を説得しようとする姿勢も身につけられる人が多いと思います。こうした科学的なスタンスを身につけられる場は大学院に限らないと思いますが、他の環境に居るよりは博士課程で研究に数年間携わることによって身につけられる可能性が高いと思います。

(3) もう一つ貴重だと思うのは、学生という比較的守られた立場で割と自由に自身の興味を追求できるということです。もちろん研究室予算の制限がありますし、完全に自由に研究できるなんてことはないのですが、恐らく会社などの組織と比較すれば、大学院では「研究の主体性」とか「自由な発想に基づく実験」が重視されており、試みた結果の失敗に対しても寛容であることが多いと思います。私が研究を始めたての頃は、未熟な発想ながらも比較的自由な実験・研究が許されていた記憶があります。その中の多くは、会社であれば即座に干渉が入り、自由にやらせてもらえない(=結果の失敗も経験できない)レベルのものだったと感じます。人の性格などにも依るかもしれませんが、会社と比べたら個々人の独立性が高いので、それを好む人にとっては居心地のよい環境だと思います。


アカデミア(大学や公的研究機関)での研究者を目指さない場合は、修士過程+博士課程で失う機会費用が大きすぎるので、博士号取得はあまりお勧めできるものではないですが、上述のようなメリットは一応あるかと思います。一方、アカデミアでの生物系研究者を目指すなら博士号が必須になっており、博士課程に進学しない選択肢はほとんどないです。博士号は大学で研究職に就くための十分条件では全然ないですが、必要条件なのです。

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追記:
ところで生物系博士号の価値が暴落しているのは欧米でも同じようです。一昔前だと、日本よりも海外(欧米)の方が、Ph.Dに尊敬の念を持たれる状況があったらしいですが、現在は日本とあまり大差ないのかもしれません。以前ほど博士号がキャリア形成に有利な資格でなくなってきたようです。(記憶の範囲では少なくとも以下の書籍にそのような文言はありました:知の逆転(NHK出版新書) 博士号を取得した私がアメリカの製薬会社でテクニシャンをやってみた (ビー・エム・シー出版))。読める環境だったらNature誌ではよくポスドクのキャリアパスについて特集されているので読んでみてもいいかもしれません。欧米でも、生物系博士が(修士と比べ)就職しやすいなんてことはなさそうです。(追記:にもかかわらず日本の博士の悲惨さが目立つのは、日本全体が落ち目であることと雇用の流動性の低さに原因があると私は考えています)