研究者という職業2(研究職デメリット)
前記事で「研究者は最高の仕事」と書きましたが、実際そんなにうまくいくこともないので、現実に即したネガティブな面をこの記事で解説したいと思います。
雇用の不安定さや給料・労働環境などもしばしば問題になりますが、この記事では「研究」という活動自体に焦点を当てることに注意してください。
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仕事の成功率が低い
新しいことに挑戦するのが研究であるとすれば、その成功率が低いことは理論的にも予想できることかもしれません。大抵の場合、成功率が低いからこそ、誰も挑戦せず「新しいもの」として残っています(成功率が高いと分かっていたら既に誰かが挑戦しています)。
と言われても、研究者以外にはなかなかイメージが沸かないかと思うので、できるだけ具体的に説明してみたいと思います。研究やっていて、本当に自分がときめく実験結果に遭遇するのは極めてまれで、かなり人に依ると思いますが多い人でも年に数回、スランプ中であれば数年に一回とかだと思います。後者の頻度であれば、モチベーション低下を引き起こすかもしれません。私が大学院で研究を始めた後、自分で発見した現象に興奮を覚えたのは博士課程2年目の終わりくらいでした。まあ、そんなもんだと思います。感覚的には、数か月くらい期待した実験結果が得られなくても「全くへこたれない」くらいの精神力は最低限求められると思います。基本は失敗なのです。少なくとも生物学の分野で、修士課程の間に自分のアイデアで成功を経験できる人はあまりいません。
ただ、普段良い実験結果が得られないからこそ、リスクを分散させることがプロ研究者としては大切になります。具体的には、より確実性の高い研究も並行して進めることによって、研究者は1-2年単位で一定の研究成果を挙げ続けないといけません。その意味で言うと、リスク分散の計算、打算・客観的状況分析も研究者として必須の能力ということになります。それに加えて、失敗にへこたれず挑戦し続ける、粘り強い性格が研究者の資質として必須って感じです。どんなに優秀な研究者でも、失敗の方が多いはずです。上手くいかないことが多いので、短期の視点しかない人は研究は向いていません。
役立つ可能性はもっと小さい
自分の新発見とか新しい実験データをまとめて論文として発表できれば、大学の研究者の仕事としてはひと段落です。もちろん、発表内容をもっと発展させたり、関連テーマに取り組んだりもします。
ここでの研究者の仕事の特徴は、成果が世の中とは依然隔絶されていることだと思います。営業職と違ってお客様から喜ばれないし、開発職と違って製品もありません。医師と違って病気も治せない。研究成果が創薬に繋がる可能性も高くありません(むしろ、創薬研究には製薬企業というプロ集団がいるので大学研究者はガチ競争を避けます)。
大学の研究者だって、「将来的に~の研究成果は・・・の改善・開発につながり、社会をよりよくする可能性がある」と述べることはできますが、「可能性がある」といっても、うーん、高めに言っても1%くらいの想定でしょうか。一般的に研究者が単に「将来~に貢献する可能性がある」って言った時の可能性というのは、0.0・・・01%くらいだと思います。つまり「可能性はゼロではない!(未来のことは、誰にも分らない)」というレベルです。(研究分野に依ると思うのでその辺は注意してください。)
どんなに小さな研究成果も、研究者のコミュニティの中で共有されれば次の大きな研究の基礎となる、と解釈することもできますが、それではかなり間接的なので、いずれにしても、「自分が何年もかけて達成した研究成果が実社会に関係している」という感覚は得られない研究者がほとんどだと思います。
研究者としては、「自分の研究は~の意味で絶対的に価値がある」と確信していて、他人にアピールできなければ仕事を続けられないと思います。自分の価値基準が自分自身にないとダメです。他人から評価されることに幸福を見出す人に研究は全く向いていません。他人に貢献することに価値を見出す場合も、基礎系研究者としては向いてない場合が多いと思います。(後者の場合は研究の分野にも多少依存します。)
職業研究者の素晴らしさについてはこちらの記事をご覧ください。