ポスドク・博士の就職難の自己責任論(私見)

研究者の就職先が不足しているという意味での「ポスドク問題」は、雇用問題や科学政策というマクロな問題として捉えることができますが、この記事では研究者個人レベルの「キャリア形成上の自己責任」という、いわばミクロ視点で書いていきます。

このページは就職難の当事者に対して厳しめ文章になってます。続く記事では環境要因についても挙げてみたのでよかったらご覧ください。


就職難にあえぐポスドクは、優秀とはいえないと思う。

そもそも、ポスドクの就職問題を「優秀な研究者が就職難」という風に表現することもありますが、「優秀な」というのは甚だ疑問です。博士の学位取得者は2000年代以後急増していますから、ポスドク(博士研究員)の質の劣化を疑う方が自然だと思います。研究者の絶対数が増えたから、トップでの競争は激しくなっていると思いますが、その他の大多数は「本来は(以前なら)博士や研究者になるべきではなかった人」であると考えられます。ともかく私は、高齢ポスドクの方々のうち、年齢相応に優秀な人を見たことがありません。どこかにいるのでしょうけど、私は見たことがないんです。「いないことを証明」はできないんですが、やはり「優秀な研究者の悲惨な就職難」は、喧伝されているほどは存在しないのではと疑っています。(あるいは過去には存在したのかもしれませんが。。)

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念のため付け加えておくと、世の中の職の中で、大学の研究者に求められる能力水準は高い方だと思います。なので研究者基準で「優秀でない」としても、他に活躍の場はあると思いますし、別に恥ずかしいことではないと感じます。それより恥ずかしいのは「自分を雇ってくれないのは相手が悪い(社会が悪い、政策が悪い…)」という思考回路。それを言うなら、自分がそれに値するだけの能力を、競争者相手以上に持っていることを雇用者(会社、大学)に納得してもらわなくてはなりません。。

そもそも、好きな仕事に就ける人は世の中あんまり多くないと思いますし、研究者だけ特別視する理由もないです。労働は雇用者と被雇用者の契約なので、必要とされない相手に対して「雇ってくれ」と言っても仕方ないですし、雇用条件が悪いなら転職するなり自分でビジネス始めるなりするべきです。需要と供給の関係があるのだから、何をやっても上手くやる天才でもない限り(=つまり凡人は)、それを踏まえてスキルを磨かないといけません(=例えば分子生物学のスキルは供給過剰)。競争相手の多いところ(=大学の研究職)で勝負するなら、それは負けるリスクも高いということです。(=全部自分の反省です。。)


時間的猶予は長い。―問題を先送りする当事者の自己責任

「個人の能力が露呈する」というのは研究活動ではかなり明確です。そして、それが自分のキャリアパスに直結するのですから、自身の能力をできるだけ早い時期に客観視することが、キャリア設計のために重要です。ただ、自分の能力を試して熟慮する時間的な猶予は、十分にあります。具体的に言うと、10年くらいはあるように思います(後述)。

まず、大学3, 4年生(20-21歳)で研究室配属され、順調にいけば27歳で学位取得。どこかで浪人や留年した人は、地頭に対する多少の疑念を持っていいと思います(要領が悪い可能性を推測します)。ポスドクになれば、分野によるけど生物系では少なくとも2, 3年ごとには論文を書かないといけません。この時点で間に合ってなければ、もう結構出遅れています(ほぼ勝敗ついているのにここで粘っている人多すぎ)。このタイミングで約30歳だから、民間会社の未経験職種に就くにはリミットで、関連職ならまだ転職は間に合うとか世間では言われたりします。ただ、この時点で研究にもう10年近く取り組んだことになりますし、さすがに10年間ある特定の仕事に取り組んだら、その仕事(研究)で将来食べていけるかどうかって、想像できるんじゃないでしょうか?数年でもいいと思いますけど。。

ついでに別観点を挙げると、「サイエンスで重要な業績を挙げる研究者のほとんどは20代後半には頭角を現す」なんてよく言われますね。こういう前例を参考にしても、どんなに甘めに考えても、30歳前後になれば、自分がサイエンスでトップを走れるか、走れないか(=苦労するか)は予想が付くと思います。10年近い猶予があって、自分がその職種で勝ち抜けるかどうか、見通しが立たない人がいるとしたら、結構鈍感じゃないですか??どうですか?負け戦を挑んでいるようにみえる人が多いんですけど。。

研究の世界は、自分の能力をもろに露呈させてしまう厳しい世界だと思います。これは私が研究に取り組んできた上での率直な感想です。能力(*)があれば研究は楽しくて仕方がない、やりがいのある仕事だけど、その能力が足りなければ、それが目立って悲惨です。私にはムリ。ムリな仕事に取り組むのはしんどい。それならもっと単純労働で人に貢献できる仕事に就きたいと私は考えて、退職しました。


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「研究者としての能力」というのは抽象的で、良く分かりません。少なくとも、頭の回転の速さ、キレの良さは必要(=この要素だけでかなり個人差があって優劣が明確)。その他には、創造性・ひらめき・論理力・注意力・プレゼン力・実験の上手さ・コミュ力、等々が思いつきます。ただ、いずれにしても、研究者の能力評価には「研究業績」という客観的指標があるので、自分の研究能力の高低を予想するのは全然難しくないはずです(遅くても30~35歳の段階でもう明確です)。

研究って「一番じゃないと意味ない」側面が大きいと思うので、トップで勝負できなさそうならさっさ方向転換したらいいのに、って私は思います。もちろん、10~20年後に路頭に迷う覚悟で挑戦するのも個人の自由ですが。。

つづき:それでもポスドク・博士はやっぱり不運

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