大学でエホバの証人に勧誘された話
大学で一般の人に心肺蘇生法を教えるイベントがあって、そのとき出会った人たちのお話を紹介します。
エホバの証人の話し(勧誘)
大学内のイベントで、一般人と普通に2対2で世間話しているつもりだったのですが、2人の正体はエホバの証人で、大学には勧誘目的で来たようでした。途中から振られた話は「治せない病気で人が亡くなるのをどう思うか」という話題。
勧誘者のトークレベルは高いから、もっとやんわり尋ねられた気もするんですが、彼らの話の展開というのは、
「医学部に入るということは、人を救いたい気持ちがあるということだと想像するけれども、それができない、治せない病気で人が亡くなってしまう時、それをどう考えればいいのだろう?どうですか。」
というお話。
正直これに普通に答えられる学生(20歳前後)はあまりいないと思いますが、私が思う模範回答は、
「若い人が亡くなるのは不条理だと思うので、研究者が研究に取り組んでいる」
とかだと思います。私はそう思ってるからそう答えました。
ただ、これは質問への回答になっていませんし、実際は研究が何か役立つことはごく稀だから、どうしても行きつくところは:
「人間には限界はある。それを受け入れる(なんとか解釈する)しかない。ではどうやって?」
という彼らの土俵になってしまうと思います。
証人の人たちにも常識はあるから、勧誘禁止の大学内でそこまで話を展開させませんが、彼らがやった、「医療系学生の勧誘」は彼らにとっては効果的な種蒔きなのかと思ってしまいました。
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例えばよく人が亡くなる診療科(例:救急)で気が滅入ってしまった若い看護師の話は聞いたことありますし、そういう人が、大学時代の勧誘者の話を思い出すことは十分に考えられると思いました。これが彼らの期待するパターンだろうと感じました…。
医学科では基礎医学の座学に時間をかけてるし、「今の医療で助けられない人を助けるために、医学研究がある」という発想が割と自然に植え付けられているような気もします。だから多少は宗教勧誘への抵抗性はあるのかなぁ、なんて。もちろん人によるでしょうが。
世の中の不条理への反応
ところで、この「今の医療で助けられない人を助ける」というアイデアは、世の中的には特殊な人たちの考えだと思いました。
私がこれまでに見た、最も不条理さを感じたもののひとつは、命を終えつつある赤ん坊です。
一般的な反応は、
①考えるとつらいから、しばらく忘れよう(自分に関係ないし)。
②どうやってこの不条理を受け入れたらいいのか。
の二通りだと思うけれど、ここで、
③この不条理は受け入れられないから、抵抗する。
という選択が、わずかでも残っているのが、医師とか、研究者とかだと思ったのでした。
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人間が経験する不幸に占める生老病死の割合は大きいと思うので、この③番目の選択肢が残っているのは大きいと私は思っています。
もし共感する若い人がいたら、医学部、特に医学科がお勧めです。30代までなら進路変更は普通に可能なので、検討してはどうでしょうか。(そういう人に来てほしいので、これも勧誘)
①【大人の医学部受験】元医学部教員の医学生が「学士編入」をゼロから詳しく解説
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②医学生向け研究の始め方・取り組み方ガイド(医学生・学士編入志望者に有用)
③私が大学教員を辞めて医学生になった経緯(研究関係者・学士編入志望者に有用)
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