京大助教のiPS論文不正はなぜ起きたか(研究者の思案)
私は生命科学の研究業界にいたので、気になることをまとめてみます。今私は研究に携わっていないので、「タテマエなしの研究者視点」で書きたいと思います(ただ、大局的というわけではなく、個人の視点になります)。
若手研究者の不安定な雇用との関係
STAP細胞の捏造事件の時がセンセーショナルでおかしかったのですが、今回は報道も割と冷静で、背景情報に関する記事が多い感じがします。特に、若手の不安定な雇用に言及するものが多いです。
倫理はもちろん大事ですが、それだけでなく、若手研究者の雇用が不安定なことも指摘されています。博士号を得た後、常勤の職についていないポストドクターが1万5千人を超しています。運営費交付金が減らされた国立大学は、任期付きの教員が40歳未満の6割以上にのぼる、とのこと。任期内に成果をあげないと、研究職が続けられなくなるというプレッシャーがあり、今回の助教も、任期付きで、3年余りの雇用期間があと1年だった、ということも原因と考えられます。(iPS細胞論文不正事件、科学を忘れた科学者)
雇用の不安定さについては、「何を今更」という感じはします。京大の研究環境で任期3年というのは、研究者の雇用として悪くないと思います。日本全体で見ても、すでに非正規雇用が4割を占めますし、雇用形態に限れば研究者が特別不遇なわけではないでしょう。日本の研究者が他国よりも雇用が不安定なわけでもありません。自分が研究キャリアを勝ち抜けないと思ったら、辞めることはできます。なので、厳しめに言えば、自己責任ということになると思います。
どうも、今回の事例は以前よりも失望感を伴っており、その原因としては、
・京大=賢い(はず)
・iPS細胞=素晴らしい(はず)
・山中先生=いい人である(はず)
という、先入観・期待もあるような気がします。(皆さんはバイアスかかってませんか?)
実際のところ、捏造を行った山水助教は、大阪薬科大を卒業した薬剤師であり、博士課程から京大という経歴のようなので、「賢くて優秀な人が、何らかの事情で不正に手を染めた」という印象は持ちません。
ただ、彼は「STAP細胞あります!」なんてことは言わずに不正を認めており、研究所の対応も理研よりもしっかりして、しかも世間に人気の山中先生が頭を下げているから、そのおかげで傷口抑えられている感じです。あまり言及されていませんが、危機管理対応の能力が素晴らしいと私は思いました。他の大学では、ここまでできそうにありません、というか、「学生が勝手にやった」ことにする教授が多すぎて酷いです。
研究者の雇用環境は確かに、かなり良くないですが、それは不正の理由になるのでしょうか。「貧乏だから、ついつい盗みを働いてしまいました」と言うと、確かに同情を集めるかもしれませんが、「貧乏になったのは自分が働かなかったことが原因」であれば、同情できるものではないです。同じく、「競争が激しすぎて、ついつい不正を働いてしまった」と言うと情には訴えますが、「研究者の道を選んだのは自分自身」です。
捏造事例を見るたびに私が不思議に思うのは、なぜ不正をしなければ職に困る能力の人が、わざわざ研究を続けようとするのか、ということです。データをいじったら、それは研究じゃないですから、何のやりがいもないと思います。
実際、生命科学では不正がどれくらいあるだろうか
今回のiPS細胞研究所の報道を見て、研究不正は私が大学院時代に思っていたより、ずっと多いのではないかと思いました。
現実問題、「実験データを再現できない論文」というのは、生命科学の分野では珍しくありません。生き物を扱うからどうしても個体差があるし、予測できない外的刺激によって動物や培養細胞は性質を変えてしまいます。それゆえに、部外者が「再現できない=不正行為」と判断することはかなり難しいです。(コピペのようなわかりやすい不正はわかりますが、そのレベルの捏造をする人はバカすぎます。そんなのは少数派だと思います)
ある論文中のデータを再現しようと考えるとき、「①どの程度再現できないか」と「②どの実験が再現できないか」という二点に分けるとイメージしやすいと思います。
①まず再現できない「程度」について言うと、論文で黒と言っているものが再現実験で白に変わったりすることはほとんどないです。けれども、論文では黒だけど再現実験すると濃いグレーだな、とか、論文では2倍の変化があるって言ってるけど、再現実験では1.5倍しか変わらないな、とか、そういう事例は非常に多いです。ただ、このレベルの相違であれば、「再現実験が下手だったかな」とか「何か別の要因も絡んでいそうだな」とか「あいつ、チャンピオンデータ(=一番いいデータ)だけ選んで論文に載せてるな」とか、色々考えるけど本当のことは分からないので、それで終わりです。こういうのは何とも追及できないと思います。不正の容疑者(?)はその程度によっては周りからの評判を落とすかもしれませんが、決定的なことは分かりません。「あの人の出すデータはいつもちょっと怪しい」って、周りから思われている人はいたりするのですが、その理由は誰にも分りません。
②また、不正はバレにくいところで行われることが多いと思います。論文の中で信頼性が低いのは、「論文中の主要でない実験データの箇所」です。主要なデータは皆が追試で実験するから、再現性については気を遣うのが人間心理だと思います。これを捏造するのはなかなか度胸があるというか、バレる嘘をわざわざつくのは合理的でないことを皆知っているから、あんまり想定されないです。逆に「誰も追試しないであろうデータ」といのは、捏造するハードルが相対的には低いことになります。他人の論文を読むときは基本的に性悪説に基づくので、そういうデータの信頼度はかなり低いです。基本的に信頼しません。(これ、バイオ系研究者の常識だと思います。)
上記①と②の観点から言うと、論文の根幹になるデータで黒を白と主張するような不正を行うのは、あまりに大胆で、性悪説で考えても合理性がないと思います。典型的なのはSTAP細胞ですが、今回のもそれに近いように見えます。世の中的には「成果を焦って不正した」で済むかもしれないけど、なんでそんなすぐバレることをやるんだろう。私の理解は越えています。
こちらのウェブ書籍では、教授がこう言っています。
学生「あの、研究って何でしょうか?」
—中略—
教授「バレない捏造をして業績を積み上げて偉くなるゲームのことだよ。」
(教授と僕の研究人生相談所 (ビー・エム・シー出版))
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大学院生の頃は私は純粋に、「優秀な人は優秀だなあ、なぜか良いデータをバンバンだす。やっぱセンスの違いなのかなぁ」なあんて思っていたけれど、実際は私が思っていた以上に、不正はありふれたものだったのかもしれないです。ちょっと残念。私はどっちにしても能力が足りないから辞めただけなんですが、これだと優秀な人間も研究キャリアを避けてしまう、悪い方のスパイラルに陥っています。日本の科学は崖っぷちというか、もう飛び降りて、落ちるところまで落ちるって感じがします(まだまだ底を打たないのでは?)。
追記:どうしたらいいだろう(私の考え)
ポスドクの問題が指摘されて久しいですが、もっと若手研究者が安心して研究を続けられるような環境整備をしないと、数少ない日本が国際競争で勝てる分野をつぶすことになります。予算の見直しなど、この不幸な事件を契機に、前向きな取り組みをしてほしいと願っています。(iPS細胞論文不正事件、科学を忘れた科学者)
私はどちらかというと逆の考えです。科学政策への予算増を訴える風潮も強いですが、日本全体が沈下している中でそれは難しいと思います。「研究者に安定な雇用を!」とは特に思いません。むしろ、(研究者と同じくらいは)日本の雇用全体の流動性が上がればいいのではないかと思います(反感買うと思うけど私には会社にすがりすぎの働かない正社員が多いようにみえる)。それによって、人材が適切なところに配置され、一人あたりの生産性が上がると思います。研究者のキャリアを断念しても、その次の職探し、あるいは起業がもっと社会的に受け入れられる、キャリアの多様性がもっと認められる世の中になればいいと思います(若い研究者は積極的に動かなくてはなりません)。