銅鉄研究とオリジナリティ

話題が飛び飛びになっているので良かったら「目次」を見て興味のあるところだけご覧ください。記事は長いわりに深くないです。

(やや医学寄りの)生命科学系の学生向けの文章だと思います。


銅鉄研究とは?科学的につまらない。

銅鉄実験とは、「銅の実験でこうだったから、鉄では(同じ実験で)どうだろうか」という実験のやり方のことで、要するにつまらない研究パターンの代表例とされるものです。銅鉄実験がつまらないのは、他の研究の焼き直しでオリジナリティがないから。銅鉄「実験」ならともかく、銅鉄「研究」が面白くないことについて、未知の真理を探求したいはずの科学者としては、反論しにくいと思います。

ではなぜ銅鉄研究するか。一般的に、銅鉄的な研究は単に論文数を稼ぐ目的で行われます。銅鉄実験では比較的確実にデータが得られ、研究の展開も予想しやすいから低リスクで論文業績を得られるメリットがあります。

医学研究の分野でありがちなパターンとしては、「〇〇分子について、〇〇疾患の患者さんで初めて調べた」とか、「〇〇手法を〇〇疾患に初めて利用」とか「〇〇症例について〇〇地域で初めて調査」とか。なんせ組み合わせが膨大なので新しい実験を組みやすく、そのため、とにかく何でも論文業績を得たいような場合、銅鉄研究は難易度、つまり要求されるアイデアの独創性・創造性が低くてよいです。

実際のところ、どんな研究も過去の研究と連続性があるので、完全に銅鉄の要素がない研究というのはあんまりないと思いますが、とりあえずわかりやすい概念なので「銅鉄」とそうでない研究があるかのように話を進めます。以下では、銅鉄研究の客観的な位置づけと、キャリア上の意味合いについて自分が思っていることを書いてみます。


それでも銅鉄には科学的意味があると思う

まず、上述したように銅鉄研究はつまらないですが、銅鉄だからといって「価値がない」なんてことはないと思います。

特に臨床研究の銅鉄については、科学的につまらなくても、症例報告としてデータ自体に意味があるため、(よほどじゃなければ)無駄研究の評価は受けないことが多いです。逆に、基礎医学・生命科学の研究者が直球の銅鉄実験を組む場合、例えば「〇〇手法を使って、〇〇分子を初めて解析した」「〇〇分子について、〇〇動物で初めて調べた」などが該当すると思いますが、この場合は得られた知見や実現した技術にインパクトがない限り、評価がかなり下がります。評価が下がる理由は、興味を持つ研究者が、(上の例だとそれぞれ)「〇〇分子の研究者」と「〇〇動物の研究者」に限定されるからだと思いますが、この点で基礎系の銅鉄研究は、得られたデータが平凡であってもそれが人間のデータである限りある程度広く興味を集められる、臨床の銅鉄研究とは性質が異なっています。

ですが、基礎系の銅鉄研究も「科学的に意味はある」と考えられることには言及しておきたいです。基礎研究の銅鉄研究であっても新しいことは新しいので、低インパクトファクターのジャーナルには載せられます。そうすると研究コミュニティ内の誰かにはその論文が読まれることになります。

極端な例を挙げると、例えば「〇〇組織では〇〇酵素の標的が〇〇分子であることが確認された」という独創性のない論文が発表されたとしても、一応「〇〇酵素の普遍性が確認された」という意味合いがあり、そう解釈してしまえば、(研究としては面白くないけど)潜在的に、「科学のコミュニティには貢献」していると言えると思います。とすれば、これは「科学の発展に貢献」していると言うことと恐らく同義だし、もしそうなら科学的に意味がないことになりません。どうでしょうか?(決して「面白い」と言っているわけではないです。)


銅鉄主義は短期の研究キャリアでは多分有効

銅鉄実験のポジティブな面をちょっと無理して書いてみましたが、何と言おうと銅鉄実験はつまらないから、普通は積極的に進めたいと思いません。論文業績を増やすために意味があるというけど、それならその効果はどの程度でしょうか。私は「それなりに」効果があると思います。

なぜなら、そもそも銅鉄研究も不十分なレベルのポスドクが多くいるからです。大学院で教授の指示に従っていただけで学位取得できた(大学院重点化以後の?)量産バイオ系博士のレベルはかなり低く、何割かは銅鉄研究のアイデアすら出せない品質です。なので、(少なくとも重箱の隅はつつけている程度の)銅鉄研究を確実に遂行して業績を貯めていけば、供給過剰のバイオ博士の中ではある程度上位の立ち位置に進めると思います。最近はバイオ系キャリアの不人気ぶりが顕著で、優秀な人が避けているので、競争が以前よりは緩くなっているような印象もあります。地方大学での助教ポストなら、銅鉄論文を定期的に出していれば就けるんではないでしょうか(私ができたくらいだし)。

短期のキャリア戦略としては、ハイリスクハイリターンの研究に拘って業績不足に陥るのと比べ、銅鉄戦略で確実に業績を積み重ねるのも悪くない気がします。銅鉄の業績があれば、少なくとも「最低限の能力はある」ことを示せるため、これは若いうちのポストに就くには事足りると思います。


でもやっぱり銅鉄主義には限界がある。オリジナリティが重要

しかしながら銅鉄だけではPI(研究室の主宰者)にはなれません。PIになるには、所属する研究分野で「〇〇の研究といえば〇〇大学の〇〇さん」くらいの評判が標準的だと思います。「〇〇の研究」のところには、属する研究領域で誰もが知っており、その人が分野をリードする研究内容が入ります。これにはある程度のオリジナリティ、何か新しいコンセプトが求められ、必然的にネイチャー(姉妹紙)クラスの業績が求められると思います。

私は「オリジナリティのある〇〇研究」の作り方について何も深く言えませんが、解りやすいパターンでは「〇〇手法を生物学に応用」など、(1)単に新しい組み合わせで新規的分野を作る方法が挙げられると思います。ここで、「銅→鉄」のように誰もが思いつく変更ではダメなところがポイントかもしれません。また、「後付けした感」のない研究目的・意義も必要です(追記:この辺には所謂クリエイティビティが求められると思います)。

一方で、もっと凡人的に「(2)銅鉄主義で典型的分子生物学をやっていたけど、たまたま重要な遺伝子を発見したので、自分の研究分野を確立した」というパターンもありえます。ただし、このパターンは分子生物学のバブル期、多分ヒトゲノム計画前後には多かったのですが、今更生物学でこれを狙うなんてのは成功見込み薄なような気はします。これらの他に多いパターンとして、「(3)大御所研究室に大学院で入って気に入られ、ボスが築き上げた研究領域のおこぼれをもらって二世となる」パターンも挙げられると思います。この場合はボスの研究の一つの枝葉であっても、(コミュニティ内で)相対的にみると幹に近くて注目されやすいです。ただ、上記(1)~(3)を含めどんな場合でも、みんながスルーするものに気が付くような、当人の能力(才能)は大事だと思います。


凡人研究者はどう対策したらいいか

学位取得当初、私のようなコネなし運なし能力なしの凡人が取れる苦肉の策として私が採用した戦略は、「①銅鉄論文を最低2年ごとに出しつつ、②長期視点(5,6年?)ではネイチャーレベルを狙う(=ライフワークの研究テーマを見つけるために、ひたすら探す)」でした。優秀な人はもっと異なる方法が可能でしょうが、銅鉄を止めると客観的な研究の進捗が外部から見えにくくなるので、私の能力ではそれを受け入れるのが難しかったです。

大抵の場合、(特に旧帝大の)教授は成功者なので、「ネイチャーレベルを狙え」にすごく重点を置いてアドバイスすると思います。ただ、恐らく医師以外の普通の人がそれを目指すと将来の生活破綻リスク(結局無職になるリスク)は高くなります。研究の失敗リスクが生活の破綻リスクに直結するのが(非医師の)研究者人生なんです。

しかし、「銅鉄論文を書きつつ、大論文(ネイチャークラス)を狙う」戦略も長期的に上手くいく可能性は高くないです。銅鉄研究に時間を割いていては、それだけで同年代のトップ研究者との差が開いていきます。銅鉄の業績だけでも、地方私立大などで(研究でなくて)教育メインの教授職には就ける可能性があるかもしれないけど、それでは(研究ができないし)、リスクを負ってまでなりたい職だと私は思えませんでした。そこで私の選択は、「それなら医師になって研究したい」となりました(*注)。


次のページで、「医師の研究は、忙しいから片手間の銅鉄研究になりがちだけど、それはそれで良いのでは?」という考えを書きたいと思います。

(*注)私が医学部編入した動機はいくつかあり、研究へのモチベーションはあくまでその一部にすぎませんが、「キャリアにおける研究活動」という観点に限定すれば、上述の内容を私は考えていました。医学部への編入学は、私のような「博士にはなれた(orなれそうだ)けど、それ以上進むには能力・運・コネが不十分。だけど研究に関わっていたい。」という人にお勧めできる選択肢だと思っています。よかったら参考にしてみてください。