研究テーマを与えられることについて

私が学生の頃の研究室では、基本的に研究テーマは自分で見つけるものであって与えられるものではありませんでした。しかし地方大に就職後、自分の経験した例が珍しいものであることが分かったので、この点について私の考えを書いていきたいと思います。


生命科学の研究テーマ選びの特徴

生物学の研究室では、何らかの研究テーマ(の示唆)が学生に与えられたり・与えられなかったり、色々な場合があると思いますが、生物系では一般に意味のある業績として認められるレベルが高いため、学生自身でテーマを見つける難易度は他分野よりも高いと思います。

研究テーマの見つけやすさは分野と教授の求めるレベルにほぼ依存しています。私が大学院生だったときのラボでは、論文のインパクトファクター 5~10くらいを最低限求める程度だったのでトップクラスではないのですが、それでも大学院入りたての修士にこのレベルのテーマ発見を求めるのは厳しかったです。インパクトファクター1~2程度を狙うのであれば競争相手が少ないため、修士課程の学生も「重箱の隅的な研究」で新規性ある研究プロジェクトを提案できると思います。

学生に求める研究レベルが高すぎると、脱落者も多くなります。テーマを与えられない場合、旧帝大(トップのとこ)でも半分くらいの博士課程学生は論文執筆までたどり着けてなかったと思います。またそういう人は大抵何年たっても難しいです。研究分野のせいで不利な場合も多く、必ずしも本人の能力問題ではない点には注意が必要です。


研究テーマが与えられると学生は楽できる

私は博士取得後に地方大学で助教になりましたが、状況が全く異なることに驚きました。正確に言うと、「研究テーマは学生に与えるべき」という考え方に驚いてしまいました。そういうのは、人手不足の研究室で自発性の低い学生がいる場合に、やむを得ず行う、いわば「必要悪」だと思っていたから。

私の職場は人手不足で、教授からやってほしい実験がたくさん振られます。自分自身で独自性を切りぬかなければアカデミアで生き残れないことは認識していますが、少なくとも表面的には、自分のアイデアでないにもかかわらず結果が短期で出てくるので、精神的に非常に楽です。博士課程のときの苦労に比べると、助教なのに楽すぎです(自分なりのリスクヘッジは立てていますが*)。(*17’4 追記:この記事の執筆者は大学を退職しました)

私が大学院生をやっていたときも、能力の高くない博士課程学生はスタッフの研究プロジェクトを代わりに遂行するテクニシャン状態であり、そういうのを私は横目で見ていたわけでした。とても彼ら彼女らは楽をしていたんだなと思うし、みんな同じ「博士」であることを不条理にも思います。実際問題としては博士の価値は既に暴落しているので、別に不条理もなにもないのですが。

とはいえ、コミュ力やアピール力に優れているために教授からよいテーマを引き出せ、且つ能力の高い学生も存在するので、私はその点で至らなかったことを自覚しなければなりません。あまり言われないけれど、力のある先生に気に入られることは、ある種のスキルだと思います。


若いうちの訓練は必要。楽はお勧めしない

バイオ系研究室あるあるですが、「教授に研究テーマを与えられてよい論文が書けた」であっても、その研究に自分のアイデアは含まれていない状態の人は自分の研究遂行能力に疑問を持った方が良さそうです。それならテクニシャン・実験補助員と大差ありませんから。

もし研究テーマが決まらなくて悩んでいる場合、学部学生や修士課程ならスタッフや先輩に相談してもいいでしょう。研究に携われる時間は短いのですから「研究テーマを見つける段階」だけで苦労してほしくない感じです。教員的な立場としては、それ以降の研究ステップを(も)楽しんでほしい気持ちがあります。

逆に、博士課程の学生や博士進学予定者は苦労も経験するほうがいいかもしれません。ポスドク以上になると(給料もらう「プロの研究者」ですから)短期スパンで何らかの成果を出していかなければなりません。それと比べれば時間のある学生のうちに、自律的な研究者としての自身の能力を試すことに時間を使わなければ、修了後の研究者としてのキャリアを考えるときになって、判断ミスの原因になると思います。ご注意を。

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