博士号は足の裏の米粒である

本来の意味は「取らないと気持ち悪いが、取っても食えない」です。博士号を取った私が感じるには、大学の研究者としては博士号を取らないと「気持ち悪い」というよりは「取らないとお話にならない」。かつ「取っても食えない」です。

下記は博士課程くらいの学生向けの文章だと思います。



民間企業就職での博士号の重要度は低い

博士課程の最終年度の学生は、民間企業就活であれば単に「博士課程修了見込み」と履歴書に記載しておけば基本的には問題ないです。実際に論文投稿しているかとか、データがどうかとか、(マイナー)リバイス中なら年度内に修了できそうだなとか、民間企業就職においてはさして問われない場合が多いです。コンサルティングファームなど肩書が重視される会社であれば念入りに問われることもあるようですが、製薬会社での研究職採用の場合を含めて考えても、就職時(大抵4月)に学位取得が絶対という感じは少ないです。製薬会社などで研究を続けている人であれば就職して1年目以降に、学位審査会(公聴会)のために大学に戻ってくる人も多いです。つまり、どちらかというと博士学位は「取れるなら取っておいてよい」という感じです。博士年限を越えて学位なしの状態は「能力不足」を示唆するので、大手企業への印象は下がるかもしれません。しかし基本的には会社が新規採用候補者に求めるのは「当人の能力」です。


一方、アカデミアでは博士号は必須

大学で研究者(助教)として就職するなら話は別で、学位取得が確実であることは重要になってきます。重要性の程度は、就職先大学の規定とか慣習に依るところが大きいと思われますが、最近は博士が巷に溢れているため、学位なし状態では(採用を審査する教授会で)受け入れられない可能性が高いです。強いコネがある場合を除き、在学している大学の規定に見合う雑誌に「アクセプト」されていることが求められます。学位審査会(公聴会)も終えていることが望ましい。ただ、就職先大学での事務手続きがあるため、4月着任予定の助教の審査するのをギリギリまで待つのは避けたいという思惑もあり、そのため、タイミングによっては論文のアクセプトがあれば、学位審査がまだであっても、助教採用の候補にはなると思われます。一方でポスドク採用の場合は、助教が大学に採用されるときよりはだいぶ制限が緩く、教授会を通さなくてよいので採用ラボの教授とのコネクションがものを言います。ただし、コネがなければわざわざ厄介者になりそうな非博士を採用する理由は普通はないと思われます。

20年前は、学位なしの助手もいたそうで、その頃は米粒のように「気になるから取っておこう」ということだったらしいです。昔の博士号は、取ったら食えていけた人がほとんどなので「取っても食えない」とは言い切れないような気はする。たぶん誇張表現だと私は思っています。一方現在では、文字通りの意味で「食っていけない」(=衣食住に困ります)。


しかし、博士の職は大学には少ない

とりあえず研究者を志す人が目指すのは正規の助教です(特任助教はよろしくない)。助教になればやっと大学の職員であり、下っ端といっても大学教員です。経済的・精神的にだいぶ落ち着くと思います。しかし、結局のところ一時的な安泰にすぎません。任期が数年程度の契約が多いです。1年契約のポスドクよりは落ち着いて研究できるかもしれないけど、任期の後はポスドクに逆戻りする可能性もあり、長期的な人生設計はやはり難しいです。

ポスドクの平均的な給料は年350万円前後。特任助教はこれと同額か、少し高い場合が多そうです。博士の期間が終われば、学位取得の有無に依らず奨学金返済が始まっているので、博士取得できなければ生活がかなり苦しくなります。ポスドク以上になれば、とりあえず30歳前後のしばらくはまずまずの給料と言えるかもしれません(学歴を度外視した場合です)。

といっても、私の所属ラボで年収350万円のポストを募集していた際、アプライしてきた多くは40代のポスドクでした。残念ながら、教授より高齢である応募者はまず採用されることはありません(緩いコネがあれば期待はできます)。そういった、安月給のポストは若者向けなのです(将来は全く保証されていませんけど)。


競争に勝てばよいと言うならそれは事実だけど、生物系ラボのPIになれるのは数パーセント程度。講師や准教授で定年を迎えられるのでも相当よい方です。その他の研究者の行き先は、万年助教・万年ポスドク・路頭に迷う、など。学位取得後30代のうちは安月給でも耐えられても、40歳前後ではどうだろう。。

読みやすい文章なので一読のすすめたいです。→ リンク:”研究者の声 オピニオン”

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